楽しんでこそ人生!! hidebach’s blog

楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三      ・日ごろ考えること

献体ー死んだ後の身体の行方

献体を考えて、25年が経過する。

どうしてそんなに時間が掛かったたかと言うと、

献体の同意書が整はなかったからです。

 

第二親等までの家族全員の同意書が必要で、

ボクは兄弟6人の内、ボクの他3人が生存しており、

カミさんと長男長女3人の、

計6人から同意書が必要でした。

 

兄弟は全員OKでしたが、

カミさんが反対を表明したため、

子供たち2名も同意書にサインしなかった。

 

そこで一回目は献体が出来ないこととなったが、

時間が経つに従い、長姉が97歳で亡くなり、

次姉が96歳で、最後の弟が2023年に85歳で亡くなり、

ボクが今年90歳になって、

やっと家内が献体にOKを出した。

 

反対の理由は、遺骨が戻ってくるのは4~5年先で、

その間、遺体はホルマリン漬けになって保管されている?

その後 解剖で切り刻まれるから、

 

これはカミさんの想像ですが、

それが耐えられないと言うことでした。

 

ボク自身は、ボクの知人、先輩、それに著名人の訃報が、

90歳を超えると、92歳が多く、次が94歳、

そして最後が尊敬する会社の先輩が98歳で亡くなった。

 

そんなことから、ボクの生きる目標は、

第一に92歳、第二が94歳が過ぎたら、

後は99歳の卒寿としていることを、

カミさんに話してあるので、

ボクが90歳を迎えたら、

カミさんの気持ちが変わったようです。

 

カミさんが献体にOKを出したら、

子供たちも続いて献体の同意書に署名捺印しました。

 

そんな経緯があって、長男が署名捺印した翌日、

大学病院の係の方を訪ねて、

献体の書類を提出しました。

 

その後、大学側から献体受領同意書が送られてきました。

 

同意書を得るのに、

実に20年は掛かりました。

 

そもそも献体をしようと決めたのは、

大学の医学部付属病院で二度にわたって。

生命を救われたからです。

 

最初は1994年心臓の手術をしたこと、

二回目は1999年5月悪性リンパ腫(血液のがん)で、

「三年生存率 30%」ステージⅣを宣言され、

三年生き延びる治療をお願いした。

 

三年の間の医学の進歩を信じて、

またボク自身が正常に戻れるようになることを信じて、

血液のがんの療養に半年間入院しました。

 

そして2000年12月7日に退院して、

半年間の治療の経過と、

ボクの生きる望みなどを語ることから、

2003年に、このブログを始めました。

 

皆様の今日一日が、良き一日となりますように!!